おはようございます!トムハチです。
急な暑さから、一気に寒くなり
浮ついた気持ちが落ち着いた感じがします。
さて今日も看護のお話です。
ダブルケアの経験を書きたいと思っても
書いてみるとなかなか難しい。
当時の娘の写真は沢山残っているけど、
記憶として残っているのは看護の方です。
毎日のようにお義母さんの容体の変わっていく事に
今思うと、恐怖を感じていました。
恐怖の方が記憶に残りやすいのかもしれません。
最期の一週間
最期の一週間痛み止めのお薬は使っているものの、
それ以上の痛みを感じるらしく、
時おり、”うー うー”とうなり声をあげるようになってきました。
その時々で、看護師さんに電話で相談したり、
時間をみて痛み止めの座薬が切れてきていそうだったら、
追加をしたりしていました。
落ち着いているなと感じた時に
声をかけると、かすかながらに反応してくれることに安心しました。
してあげられなくて辛かったこと
オムツになってからも、トイレに連れて行って欲しいと
何度もお願いされました。
私一人では連れて行く事も出来ず、
(一度連れて行った時に、お義母さんが立っていられず
崩れるようにしゃがみこんでしまった時に、
立ち上がらせてベットまで連れて行くのが
とってもとっても大変だったので、もう出来ないと判断)
お義母さんは
なんとなくお腹が痛かったり気持ち悪かったりするのが、
トイレに行けば解消されると思っていたのでしょう。
「申し訳ないのですけど、トイレに行くのはとても大変なので、
嫌だとは思いますが、オムツにして下さいね。」と声をかけましたが、
それでも、何度もトイレに行きたいと言っており
お願いを叶えてあげられなかったのが辛かったです。
熱いお茶をすすりながら、
飲みたいのも叶えてあげられなかったなぁ。。。
50年ぶりに11月に雪が降った日
その日は11月だというのに雪が積もりました。
娘は大喜びで公園遊び、
その帰りに小さな雪のかたまりをお土産に
持ってきました。
お義母さんは会話は出来ないけれど、
「雪が積もったんだよと」娘が言うと、
驚いた顔をしていました。
その日は主人は休みをとり家にいました。
夜、娘を寝かしつける時に
主人が「ぐぅ」といびきをかき、
「パパあっち」と言われてしまいました。
主人が自室に戻る前に、お義母さんの様子を見に行くと
これまでとは呼吸が違うようにみえると。
私も娘を寝かしつけた後、お義母さんの部屋に合流。
私にはこれまでと変わらぬように見えたのですが、
言われてみると、
呼吸の回数が少なく浅くなってきているようにもみえました。
酸素飽和度はエラーで読み取れず。
苦しそうな声は上げていませんでした。
静かで穏やかな時間がしばらく流れ、
大好きな息子に見守られながら、
お義母さんは生涯の幕を閉じました。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
それでは、また。
ごきげんよう。
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